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八重の桜 視聴率 あらすじ 10話 3月10日 「池田屋事件」

八重の桜 視聴率 あらすじ 10話  「池田屋事件」


NHK 大河ドラマ 八重の桜 視聴率 速報 10話  3月10日
「池田屋事件」 八重の桜 あらすじ を紹介いたします。

視聴率 速報 8話は、15.6%、でした。
裏番組であるWBCオーストラリア戦に足を引っ張られたとはいえ、15%台は2度目。
関係者は少し焦っているかもしれませんね。


さて今回は、「池田屋事件」、背後には象山の奇策があります。何のために、どんな奇策なのか、

長州がたくらむ御所襲撃から光明天皇を守るため、象山は奇策を考えつきます。 

新選組が長州の攘夷派浪士を池田屋で斬り殺し、会津は追い詰められます。 

会津では新作の銃が藩で取り上げられないことに、八重と尚之助はいらだちます。

そして今回は、新島七五三太(にいじましめた)、後の新島襄も登場します。

詳細はあらすじをどうぞ。


[右斜め下]余裕のある方は、「八重の桜 音楽 メインテーマ 2分38秒 」 をお聴きになりながら、
ごゆるりと、あらすじをご一読ください。 
映像には著作権がありますので、お手数ですがクリックしてからお聴きください。 ⇒ こちらから

[右斜め下]八重の桜 メインテーマ  ビアノソロ  坂本龍一  2分45秒
  (どらまちっく、オーケストラとはべつもの、しっくりときますよ)    ⇒   こちちらから

[右斜め下]登場人物    (顔写真付)              ⇒  こちらから

[右斜め下]登場人物    (全体相関図)            ⇒  こちらから


❐ 第10話 「象山の奇策」 あらすじ  

元治(げんじ)元年(1864) 山本八重 20歳、 山本覚馬 37歳、 川崎尚之助 29歳

4月、覚馬が開いた「京都会津藩洋学所」に佐久間象山が訪ねてきます。
象山は幕府の命をうけ、朝廷に開国の必要性を解くための上洛でした。
朝廷は一貫して、幕府に攘夷を求めて来ていることからでした。


そのころ会津では、照姫の右筆(ゆうひつ ⇒ 書記)となった高木時尾が、
鶴ケ城にあがる前日、八重と桜の木の下に座って話しあっています。
時尾は、やりたいことをやる八重がうらましかったと言います。
八重も、時尾が右筆に選ばれて妬(ねた)ましかった。
私のほうが役に立つのにと自惚れていた、と話します。
小さな胸のわだかまりが消え、いつまでも語りあっていました。


6月初旬、佐久間象山が覚馬の洋学所にやってきます。
中川宮に拝謁し、世界地図を見せ、世界情勢を説明し、
攘夷がいかに無謀なことであるか、開国こそが国の方針だと、
朝廷から天下に号令すれば幕府は堂々と開国することができる。


しかし、この企てを攘夷派が知れば、御所を襲い、都に火を放つなど、
手荒な手段に訴えるかも知れない。そこで、天皇を守るために、会津の力を借りたいというものでした。
象山は、しばらくの間、孝明天皇を彦根城に移し、会津藩に警護してもらう。
まさに奇策だが妙案でもありました。


会津では、八重と尚之助が、夜遅くまで新式銃の改良に打ち込んでいます。
ゲーベル銃の3倍速く撃てる銃が完成すれば量産するだけだが、
あとひと息というところで、藩のあと押しが得られないでいます。
藩士ではない尚之助の身、どうにもならぬことばかり。
八重は、女であることが歯がゆかったのでした。


6月5日、新選組による池田屋事件が発生します。
池田屋事件は、新選組が長州の攘夷派浪士を池田屋で斬り殺してしまいます。
それは新選組の独断暴走であり、会津藩にとっては青天の霹靂(へきれき)、
とつぜんふりかかった大事件でした。


数日後、覚馬は佐久間象山をたずねます。
象山は、「池田屋事件、愚かなことをしたものだ。おぬしらは火薬庫に火をつけたのだぞ。
長州は、今に牙(きば)をむいて襲ってくる」と。


事件の知らせは、会津にも届きました。
謹慎中の西郷頼母は「新選組はやりすぎる。これで会津は仇(かたき) として、
つけねらわれる ・・・・」と。藩を守るには兵力を増強するしかない。
頼母は佐川官兵衛に、藩士の次男3男を率いて京に行くよう命令します。
こうなった以上、兵を増やさねばどうしようもないと思ってのことでした。


しかし、事態は頼母の予想をはるかに上回る展開で進んでいました。
長州の動きはいち早く、既に、それぞれに陣営を構えておりました。


その頃、八重と尚之助の鉄砲づくりは、改良した新式銃を認めない会津重臣たちの
頭の固さに、尚之助は珍しくいらだっていました。
八重は、「あきらめてはなりません。認めていただけるまで、何度でも何度でも、
作り直すべし。私が ・・・・・・ 私がずっとお手伝いをいたします」と、尚之助をなだめます。


同じころ、箱館の外国人居留地からひとりの若者が日本を脱出しようとしています。
新島七五三太(にいじましめた)、後の新島襄(にいじまじょう)が、
アメリカに渡る旅の始りでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   次回 3月17日 11話 守護職を討て

時間に余裕のある方はどうぞ

[黒ハート]NHK福島×八重の桜  ようこそ桜咲くふくしま     ⇒   こちらから

[黒ハート]ただいま東北  綾瀬はるかさんと東北の旅          ⇒   こちらから

[黒ハート]八重と会津博 公式サイト                     ⇒   こちらから

                                              
 (NHK公式サイト参照) 詳細は   ⇒  こちらからどうぞ

                                                     以   上

八重の桜 視聴率 あらすじ 綾瀬はるか 大河ドラマ館オープン

八重の桜 視聴率 あらすじ 綾瀬はるか 大河ドラマ館オープン 


福島・会津ではNHK大河ドラマ 八重の桜で大賑わいです。
ここでは、八重の桜ドラマ館オープン、綾瀬さんほのぼのトーク、
大河ドラマ館情報、八重の桜 クチコミ ガイドのご紹介です。


[黒ハート]八重の桜ドラマ館オープン、綾瀬はるかさんテープカット
NHK大河ドラマ「八重の桜」の世界を楽しめる
「ハンサムウーマン八重と会津博 大河ドラマ館」は1月12日、
会津若松市の旧会津図書館にオープンしました。
主演の女優綾瀬はるかさんらがテープカットし、
華やかにスタートを祝いました。
綾瀬さんは「毎週日曜が楽しみと思ってもらえるよう、
頑張って八重さんを演じたい」と語っておりました。

[黒ハート]くわしくは福島民報ニュースをご紹介します   ⇒  こちらから

[黒ハート]「会津のおなご、かっこいい」 綾瀬さんほのぼのトーク

「ハンサムウーマン八重と会津博 大河ドラマ館」が
会津若松市にオープンした1月12日、大河ドラマ「八重の桜」で主演する
綾瀬はるかさんらによるトークステージが同市と福島市で繰り広げられた。
綾瀬さんは「諦めず勇気を持って前に進んだ会津の人々の姿が、
皆さんの元気につながればうれしい」と語っています。 

[黒ハート]くわしくは福島民報ニュースをご紹介します   ⇒  こちらから

[黒ハート]大河ドラマ館の情報サイトです  ⇒   こちらから

[黒ハート]大河ドラマ館 face book 情報 ⇒  こちらから

[黒ハート]八重の桜への 口コミガイド     ⇒  こちらから


八重の桜 視聴率 あらすじ  「什の掟」とは

八重の桜 視聴率 あらすじ  「什の掟」とは

NHK 大河ドラマ 八重の桜、このところ視聴率が少し気になってきましたね。
8話は15.6%でした。18%台へ期待をしたいものです。


ここでは、会津武士の指針である「什の掟」 (じゅうのおきて)について、ご紹介いたします。


「什の掟」とは6歳より9歳までの子供達が「お話を致します。」
と言って次の心得を誓い合います。 現代版に直してみますと、


1.年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
2.年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3.嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
4.卑怯な振舞(ふるまい)をしてはなりませぬ
5.弱い者をいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
「ならぬことはならぬものです」


この掟は、会津の人材育成の指針で、階級差別の無いルールです。
「ならぬことはならぬものです」、いっけん無茶のようではありますが、
理屈ではない強い教えこそが、会津武士の気質であり、
私欲で道理を曲げない人間形成をしたといわれています。
現代に於ける「什の掟」、個々にいろいろな論評はありますが、
前提は、藩政の基盤が土農工商の復興にありそれを成し遂げるために、
そのための教育と人材登用にある、との考えに基づくものであることです。


ここの理解が最大のポイントであると思います。
ある意味、あたりまえのことをあたりまえに、
試されるのは子どもたちだけではなく、
むしろ大人の態様であり、大人がしっかりしないと子どもたちもついて来ない。
そういう意味では現代でも十分通用する掟だと思うのですが、いかがでしょうか。

八重の桜 視聴率 速報    制作スタッフの思い

八重の桜 視聴率 速報    制作スタッフの思い


八重の桜 視聴率 速報 8話は15.6%でした。
もしかして、おじさん達はWBCを優先した、そんな影響があるのでしょうか ?


1話から8話までの単純平均視聴率は 17.9%ですが、
現在のところのあらすじは、幕末期、尊王攘夷がメイン。
八重さんがメインとなるのはまだまだあとの様子。
そこまではこんな視聴率で行けたら上々だとは思いますが、いかがでしょうか。


そこで、番組制作にあたっている、制作陣の思いは、
NHK大河ドラマ 綾瀬はるか主演 「八重の桜」が、開始され2ケ月、
評価はいろいろありますが、


物語前半の主な舞台は、八重の故郷、福島県会津地方。
戊辰戦争で悲劇に見舞われた会津の人々が、激動の時代をどう生き抜いたのか。
制作陣は作中に、東日本大震災に見舞われた東北復興への思いを重ねています。


撮影には、ソニー製の映画用高性能カメラ「F35」を大河で初めて使用しています。
加藤拓専任ディレクターは「見た瞬間に『きれいな世界』と分かる映像にしたかった」と説明しています。
カメラが大きいため、撮影上の小回りがきかない不便さはありますが、
描写力に優れ、構図を固定した映像で主演の綾瀬はるかさんをはじめとする
出演者の表情や演技を丁寧に表現できる利点があると言います。


ボケやブレを活用した「龍馬伝」、リアル志向のためかえって「画面が汚い」
と批判された「平清盛」など、近年の大河は挑戦的な画づくりが目立ちますが、
加藤氏は今作を「非常にオーソドックス」とみています。
それには「賊軍」として扱われることが多かった幕末~明治の会津を描くための意図が
込められていると言います。


幕府に長い間忠誠を尽くし
強固な藩内の絆や社会システムを築いてきた会津が
一夜にして汚名を着せられた。どれだけ悔しかったか
作品を通して『会津の方がよかったのでは』と問いかけてみたい
封印されてきた会津の正当性を描くためには、映像がきれいである必要があった
ということです。


制作を統括する内藤慎介エグゼクティブ・プロデューサーは
「激動の時代に、登場人物がすべてを失っても希望を見つけていく物語。
今、やらなければいけないドラマだ」と語り、
幕末の会津と震災を体験した東北を重ねています。


多くのものを失っても、人は夢を持って未来へ進むことができる
どんな苦境からでもはい上がれるということを(作品で)見せられたら


こんな思いで制作陣は取り組んでいます。どうぞご期待ください。
                                  (出典資料 msn 産経ニュースから)

八重の桜 視聴率速報 「山本むつみ」さんからのメッセージ

八重の桜 視聴率速報 「山本むつみ」さんからのメッセージです

八重の桜 視聴率、八重の桜 視聴率 速報、
関係者にとってのこの数値、全ての評価が決定してしまうという、極めて厳しい値です。


大河ドラマ 八重の桜 あらすじ を書き続けた山本むつみさん。
ここでは、大河ドラマ 八重の桜 原作者、山本さんからのメッセージを紹介いたします。


NHK「八重の桜」、原作は脚本家の山本むつみさんです。
山本さんは、2010年前期のNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で
広く注目を集め、多くのむつみファンがいらっしゃいます。


今回は、大河ドラマとしては少し地味かと思われた無名のヒロイン「新島八重」。
しかし、膨大資料と向き合い、その魅力を確信した山本さんは、会津の人々を、
生き生きと描きだしています。では、山本さんからのメッセージの一部をお伝えします。


山本さんは、ドラマのキーワードは、「勇気」と「献身」だと話しています。

「八重の桜」には、八重や兄・覚馬、松平容保(かたもり)をはじめとして、
次々と襲いかかる困難に勇気をもって立ち向かう人たち、そして、
自分以外の何かや誰かのために、身を尽くして生きる人達が、たくさん登場します。


利害をかえりみず、たいせつなもののために自分を投げ出すということは、
人間が示すことのできる最高の勇気であり、献身なのではないかと言いま。

「かわいそうな会津」ではなく、どんな障壁も強く、すがすがしい結束力で
乗り越えようとする人々、山本さんが今回のドラマで描こうとしている会津の姿です。

会津は非情に不運だったが決して不幸ではない。
会津藩といえば、白虎隊をはじめ、女性や子ども、老人が犠牲になったという、
つらくかわいそうなイメージと捉えられがちです。
確かに悲惨なことはたくさんありました。けれど、会津の人々が皆不幸だったか、
というと、必ずしもそうではないと山本さんは話しています。


なにひとつ自分たちの得にならないことを、「都を守ろう」「殿のために尽くすんだ」
という強い心で、何年間にもわたり、一丸となって続けて行きました。
そこには、一つのことに向かってゆく連帯感や高揚感もあったでしょう。
そして、不運が重なり戦争となってからも、会津の人々は、男も女も子どもも、
卑怯なことをせず、勇敢に戦いました。


武士とは義に生きるもの、そうでなければ存在する価値がない。
その考えを最後まで貫いた人たちです。だから、負けてなおすがすがしい
そうした会津の象徴が、八重という女性であり、そして桜という花なのだと
山本さんはそう思っているということです。

伝えたいメッセージは他にもありますが、今回はここまでです。
またの機会にご期待ください。
大河ドラマ同様に、一度はじっくりと読んでいただくと、
ドラマのあじわいも違ったものになるかもしれませんよ。

それでは、大河ドラマ「八重の桜」をおたのしみに     。。。。。。。。。。。。。。。。                

書店員ミチルの身の上話 ネタバレ 第8回 2月26日

書店員ミチルの身の上話 ネタバレ 第8回 2月26日 火曜日
「正体」のあらすじ ご紹介いたします。


2億円の当選から殺人へ、ちょっと怖いですよね。 結末が恐ろしいかも。

もし、あなたが高額当選したら     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その時のために、文末に
           『その日』から読む本 突然の幸福に戸惑わないために、
                         を掲載しています。時間のある方は一読を。

●番組日時
NHK総合 2013年2月26日(火)よる10時55分~11時24分
再放送:3月4日(月)午前0時40分~1時9分(日曜深夜)

  ● 第8回  正体  あらすじ

ミチルは竹井輝夫から、高倉恵利香が自殺をしたと知らされ、
思いがけない出来事にびっくりし、不安がつのります。


祖母の葬儀のため長崎に帰った竹井輝夫は、ある言葉を耳にします。
ミチルが働いていた書店の同僚、タテブーこと立石武子が、
「ミチルが宝くじの当選金2億円を持ち逃げしたのではないか」と。


高倉恵利香の遺品の中には、不倫相手・豊増一樹の残したメモを見つけ、
豊増一樹の身に何が起こったのかを悟り、恐ろしさにぞっとしてしまいます。

ミチルは、竹井輝夫に真相を話してほしいと迫りますが、はたして ・・・・・・・

                         次回 3月5日 第9回 おたのしみに



「その日から読む本」  ⇒ (出典資料は Wikipedia より)

『その日』から読む本 突然の幸福に戸惑わないために、

日本の宝くじにおいて、1,000万円以上の高額当せん者に対して無料で
配布されている小冊子です。

第一部「今すぐやっておきたいこと、やってはいけないこと」

1. 受け取った当せん金は、とりあえず安全な場所へ
安全のため、当せん金は銀行等の口座へ
絶対に必要でない限り、現金は持ち帰らない
当せん証明書の発行を依頼しておく
グループ買いなら、メンバーの委任状が必要

2. これからのスケジュールを思い描いてみよう
今後の大まかなスケジュールを立てる
何かを決めるには、気持ちを落ち着かせてから
グループ買いなら、当面の「決まり」を作っておく

3. ちょっと待て、落ち着いてからでも遅くない
後悔するような軽はずみな言動に注意する
当せん直後は、興奮状態にあるという自覚を
自分の性格やクセを見つめなおそう
時間は味方と心得よう

第二部「落ち着いてから考えること」

1. 当せん者にしかわからない悩み、知っておこう
ひとりでも人に話せば、うわさが広まるのは覚悟しよう
神経質になりすぎていないかチェックを
当せん金の使いみちを考えながら、気持ちの切り替えを
興奮の後に訪れる不安は、以前の自分に戻るための通過点

2. だれに当せんしたことを知らせる(知らせた)か
知らせる必要のある人を全てリストアップ
よく考えて、知らせる優先順位を決める
グループ買いの場合は、メンバー間で統一を

3. だれにお金を分与するか
当せん金の分与者リストを作る
贈与税について知っておく
分与に関する言動・決定は慎重に

4. お金の使いみちを考えよう
当せん金は、当面使うお金と残すお金に分ける
ローンや借金の返済を優先する
残ったお金でしたいこと考え、その重要度を判断する
決めた使いみちを、後で見なおす機会をもうける

5. 当せんして何が変わるか
当せんで、自分そのものが変わることはない
当せんしても自分は自分を心得よう
当せんは、幸せになるための手段の一つだと思うこと

第三部「当面の使いみちが決まったら考えること」

1. 残ったお金をどうするか
何のためにお金を残すかを考える
住宅・教育・老後で必要なお金を考える
すでに決めた将来のお金の使いみちを、ここでもう一度チェック

2. 将来の目的に合わせて、お金を考える
残したお金の合理的な運用法を考える
運用におけるリスクとリターンを自分のはかりにかける
もしもの時のために遺言状を作る

3. 運用を始める前にチェックしておくこと
運用法を決定する前に、専門家のアドバイスを
最終決定は自分の責任で行う
運用法は定期的に見なおす

『 概 要 』
当せんした宝くじ(ジャンボ宝くじ・ロト6など)を、
みずほ銀行の支店で換金した際に行員から手渡されます。
行員でも簡単に閲覧することはできず、希望者に対しての配布なども行われていない「非売品」です。

ただし、一部抜粋されたものが「宝くじドリーム館(東京・大阪)」で紹介されています。
その希少価値からメディアでも何度か取り上げられており、
知名度が上がってきています。「全国自治宝くじ」の発行元である、日本全国の
都道府県と指定都市が発行しています。
ある出版社は「夢のあとに見る現実」について書かれている、興味深い本だとして出版を打診したが、
発行元から丁重に断られたということです。

『 掲載内容 』
高額当せんをした場合の具体的なアドバイスが、当せん金の受け取りから順に
書かれています。例えば、当せん金の使い道について、ローンや借金の返済を
優先すること、当せんについて知らせる人をリストアップすること、
仕事は辞めないようにすること、冷静になって落ち着くことなどの基本的なことから、
当せん金の分与にかかる贈与税などの税金問題や資産運用、遺言書の作成に
ついてなど、応用的な内容も説明されています。
また、当選者に対して渡される「当せん証明書」の発行についても説明されています。
                                                 
                                                        以 上

いつか陽のあたる場所で あらすじ 8話 2月26日

(いつか陽のあたる場所で あらすじ ネタバレ)


NHK「いつか陽のあたる場所で」 あらすじ 8話 2月26日
「また会う日まで」 を紹介します。

前回、芭子、綾香、二人の過去はばれてしまい、この後の展開が気になりますよね。


芭子はよく泣きますが、回を重ねるごとに、泣く場面が少なくなったようにも思えます。
生きることに、少し強くなったのかもしれません。
芭子は、実は哀しいまでの純粋さを内に持った女性。一途なところ、
彼女が犯罪を犯してしまったのは、度を越して一途だったからだとも言えます。


そんな芭子が、面白い述懐をする場面があります。
多くの人は犯罪を犯す前に踏みとどまります。一体、犯罪を犯す人間と、
刑務所に行くまでには至らない人間と、どこが違うのか。
大多数の人は、その寸前の適当なところで踏みとどまるか、
もう少し要領よく立ち回ることができる。


ほどほどということを知り、誘惑からも、犯罪からも、するりと上手に
逃れるものです。それができなかった愚か者だけが、
大した決断もしないままに一線をこえてしまうものなのだ。
意志の弱さか、運の悪さか、誘惑へのもろさか。


芭子は自分の不器用さをよく自覚しているように思えます。
世の中に対しても、自分自身にたいしても、こわごわ、おそるおそる、
慎重に生きているのは、そんな理由からのようです。

そんな芭子が、実は隙だらけで、抜けているところが多い、綾香に決意をさせます ・・・

番組日時
本放送:NHK総合 2013年2月26日(火)午後10時
再放送:NHK総合 2013年3月 4日(月)午前10時5分
※編成の事情により、休止する場合があります。
再放送:総合 2013年3月5日(火)午前0時25分


8話  「また会う日まで」  あらすじ      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

綾香の父・文彦が海難事故で意識不明との知らせが入ります。


自分が犯した罪のため、故郷に帰りづらい綾香でしたが、
芭子は「私も一緒に行くから」と綾香に帰郷を決意させます。


綾香は妹の琴美と久しぶりに再会し故郷に残された家族の苦しみを聞きます。


一方、芭子の過去を知った大石老人は芭子の母・妙子を訪ねます。

そして恋人の岩瀬は、芭子との関係に静かな決意を固めています  ・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次回 3月5日(火) 午後10時

八重の桜 視聴率 あらすじ 9話 3月3日 「八月の動乱」

NHK 大河ドラマ 八重の桜 視聴率 速報 9話  3月3日
「八月の動乱」 八重の桜 あらすじ を紹介いたします。

・7話の視聴率は17.5%でした。文末にその意味を少し記載してますのでご一読を。

・今回は、八月の動乱、すなわち政変です。
 松平容保が、長州藩と組みする公家、三条実時らを京の町から追出します。

・いっぽう会津での八重は、自分のことばかり考える自身に気がつきます  ・・・・
 こまかいあらすじは、下記をご一読ください。

[右斜め下]余裕のある方は、「八重の桜 音楽 メインテーマ 2分38秒 」 をお聴きになりながら、
ごゆるりと、あらすじをご一読ください。 
映像には著作権がありますので、お手数ですがクリックしてからお聴きください。 ⇒ こちらから

[右斜め下]八重の桜 メインテーマ  ビアノソロ  坂本龍一  2分45秒
  (どらまちっく、オーケストラとはべつもの、しっくりときますよ)    ⇒   こちちらから

[右斜め下]登場人物    (顔写真付)              ⇒  こちらから

[右斜め下]登場人物    (全体相関図)            ⇒  こちらから


❐ 第9話 「八月の動乱」 あらすじ 

文久三年(1863) 8月、山本八重 19歳、山本覚馬 36歳、川崎尚之助 28歳

山本覚馬は、同僚の秋月悌次郎の宿舎を訪ね、「洋学所」を設立したいのだが、
京で顔の広いあなたにもお手伝いをお願いしたい、と頼み込みます。


ちょうどそのとき、薩摩藩の高崎左太郎という武士がやってきます。
「それがし、・・・・・ 密命をおびてまいりました」と、極秘情報を伝えにきたのでした。
これが京の都をゆるがす「八月の政変」、第一報の始まりです。


急いで覚馬と秋月は会津本陣へ行き、「攘夷派公卿・三条実美(さねとみ)と長州派が、
孝明天皇(こうめい)を京から遠ざけ、幕府を倒そうという陰謀があるらしい」と、
松平容保(かたもり)に伝えます。


容保は、苦慮します。薩摩と手を結ぶことは、一歩間違えば、
会津が朝廷を敵にまわす危険と、背中合わせになるからです。
しばらく考えた末、容保は、この暴挙を見過ごしにはできないと決断します。
そして、会津藩士・二千人を、天皇が居られる御所の警備にあたらせます。


八月十七日の夜、天皇の命令をうけ、十八日午前零時、会津の軍勢、
壬生浪士組(みぶろうしぐみ)、薩摩藩が御所の中に入り、門を次々と閉ざします。
やがて、長州藩を御所の警備から外すことについて、
天皇からの詔勅(しょうちょく⇒意思を表示する文書)がおります。


早朝、異変に気づいた長州勢が、自分たちが警護していた門の前に押し寄せ、
門を挟んで、会津勢とのにらみ合いになります。双方動きのとれないまま時がたちます。
夕刻になり、横殴りの激しい雨とともに、長州勢は兵を引き上げます。
会津、薩摩の連合軍が御所を守り通すことができたのです。


その夜、三条実美ら長州派の七人の公家たちは、長州藩士とともに京を去ります。
幕府打倒を狙った勢力は一掃され、八月の政変は終わります。
これが世にいう八月十八日の政変です。


翌朝、容保にたいし天皇から労をねぎらう直筆の文書が贈られ、
壬生浪士組は、あらたに新選組という名前を賜ることになります。


数ヶ月がたち、会津は紅葉の季節となります。
お国入りした照姫(松平容保の義理の姉)は、少しでも容保の役に立ちたいと、
城下の視察に力を入れています。


黒河内道場では、八重たちが張り切って薙刀(なぎなた)を振るっています。
その日は、照姫が道場に来られるので、照姫をひと目でもみたいと、
若い娘と同様に年配の婦人たちも、稽古に汗を流していました。


照姫は、八重、そして謹慎中の西郷頼母の妻・千恵をしばしば見つめます。
稽古が終わり、照姫が一同に言葉をかけます。
八重は感激に胸を熱くし、千恵も目をうるませます。


翌年、藩士の子女から照姫様の右筆(ゆうひつ⇒書記)が選ばれという話があり、
八重ではないかともっぱらのうわさがたちます。
八重もまんざらではなく、いざというときに備え、読み書きを習っていました。
ところが選ばれたのは幼なじみの高木時尾でした。


ショックを受けた八重がひとり各場(射撃場)にいると、尚之助が来て言います。
「新式銃をつくるには、八重さんの助けがいります。
私ひとりではどうにもなりません。八重さんの代わりはだれもいません」。


八重は「私、自分のことばっかり考えて ・・・・・・・・・忘れるところでした。
・・・   兄様のお留守の間、家と各場は守ると約束したのに」

「そうですよ」

「んだけんど ・・・・・・・・、代わりはいねぇなんて、そんなこと言われると、
 私は ・・・・・・・・・・・・・  うれしくて ・・・・・・・・・・・・・・・・・。  ありがたいです」

八重が泣き笑いの顔を見せるのでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      次回 3月10日 10話 象山の奇策

7話の視聴率は17.5% でした。

これは、15.1% ~ 19.9% の間にある確率が95%であるということを意味しています。
少しむずかしいですが、統計処理上の誤差が±2.4% 発生しますよという意味です。


この誤差なり、数字の評価はNHKの皆様にお任せして、
私たちはそれなりに面白ければよいというのが普通なのでは無いでしょうか。
面白いというのは個人差がありますが、少なからずドラマを見ることによって、
大まかな歴史の流れだけでも知ることができます。


大河ドラマはその「大まかな流れ」すなわち「大河」を知ることができるという意味では
すごく参考になります。歴史好きはここから発展させていくらでも調べることができます。
会津家訓15箇条、これがなかったら、会津は、京都守護職は引き受けておらず、
鶴ケ城での戦いもどうなっていたかは分かりません。


歴史の史実は変えられませんが、大河の流れから、こんなことを考えてみるのも、
大河ドラマを見たから言えるのではないかと思ってしまいますが、いかがでしょうか。

                                              
 (NHK公式サイト参照) 詳細は   ⇒  こちらからどうぞ

                                                     以   上

八重の桜 視聴率 あらすじ 8話 2月24日  ままならぬ思い

NHK 大河ドラマ 八重の桜 視聴率 速報 8話  2月24日
「ままならぬ思い」 八重の桜 あらすじ を紹介いたします。

松平容保は、天皇の身辺警護を決意します。
「ふふっ。・・ ままならぬものよ。誰も、望みどおりには生きられんか」
ままならぬ思いとは、 西郷頼母が語ります ・・・・・・ おたのしみに。


八重の桜 視聴率 7話は17.5%、前回よりも2.2ポイントアップしています。
この数値は、世帯試聴率であって、この数字をもとに「○○○万人が見た」と、
いったようなコメントは正しくないことだけは知っておいてください。
いつか解説を致します。さあ、一家団欒、楽しみましょう。少し歴史もわかりますよ。


[右斜め下]文末に、尊皇攘夷について解説を付け加えております。簡単にいえば
歴史においては、ペリー黒船など、幕末に外国船が次々にやってきます。
その外国の人たちを打ち払うという意味でつかわれています。

[右斜め下]歴史解説、興味のある方は、会津藩と京都守護職、容保はどうして京都守護職を
引き受けたのか、それが会津を滅ぼす要因になるとは ? の解説を載せました。
少し長いですが、歴史の一端が分かりますよ。おたのしみに。


●余裕のある方は、「八重の桜 音楽 メインテーマ 2分38秒 」 をお聴きになりながら、
ごゆるりと、あらすじをご一読ください。 
映像には著作権がありますので、お手数ですがクリックしてからお聴きください。 ⇒ こちらから

●八重の桜 メインテーマ  ビアノソロ  坂本龍一  2分45秒
  (どらまちっく、オーケストラとはべつもの、しっくりときますよ)    ⇒   こちちらから

●登場人物    (顔写真付)              ⇒  こちらから

●登場人物    (全体相関図)            ⇒  こちらから


 ❐ 第8話 「ままならぬ思い」 あらすじ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


文久三年(1863) 山本八重 19歳、山本覚馬 36歳、川崎尚之助 28歳
京の都では、いまだに天誅(てんちゅう ⇒天に代わって罰を与える) と称する人斬りが
絶えず、取り締まる会津藩の手が足りない状況が続いていました。


京都守護職の任にあたる会津藩主・松平容保(かたもり)は、
取り締まりに頭を悩ませています。そこで、山本覚馬と秋月悌次郎は、壬生村(みぶむら)にいる、
幕府が集めた浪士たちに会いに行きます。土方歳三(ひじかたとしぞう)
案内されてついていくと、剣術の稽古をしており、かなりの使い手がそろっておりました。
この日から、壬生浪士組(みぶろうしぐみ)24名は、会津藩お預かりと決まります。
これが後に、新撰組を拝命することになにリます。


覚馬は京で久しぶりに勝海舟と会います。
勝は、京での攘夷騒ぎ (幕末に、黒船など外国船が次々にやってきます。
その外国の人たちを打ち払うこと行動など) が気になっていました。
幕府の攘夷姿勢は形だけで、やる気はさらさら見えず、攘夷派が騒ぎ始めて、
京の町は攘夷一色、そのためには平気で人殺しもやる、そんな状況下。
勝は幕府を非難し、さらに、壬生浪士組という人斬り集団を、
会津が雇ったことに苦言を呈するのでした。


勝と別れ、覚馬は賀茂川のほとりにたたずみ、「俺はなにをすればいいんだ、
10年後、100年後の人々のために   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


文久三年5月、
薩摩藩は御所から遠ざけられ、長州派が公家、朝廷の実権を握ります。
長州派の敵は、壬生浪士組、そして京都守護職・会津藩主・松平容保へと敵意が向けられ、
容保を孝明天皇のそばから遠ざけるよう、ひそかに計画を立てます。


いっぽう会津では、
八重がいつもの桜の木の上で砲術書を読んでいます。
顔を上げると、木の下から佐川官兵衛が、西郷頼母に、京に自分もやって欲しいと
頼んでいます。官兵衛は謹慎中の身、「ならぬことはならぬ」と頼母は一括します。


それを見ていた八重は、頼母に「私が男ならば、京に、はせ参じたい」と言います。
それは藩主・松平容保の情け深い人柄、殿様のために働きたいといういちずな
思いからでした。頼母は、「人の心を動かすのは、罪の恐ろしさよりも、
温かい情かもしれない。なれば寛容の心こそが、憎しみから身を守る盾となるはず」、
京に行って主君・松平容保をいさめる決意をします。


京では、
三条実美(さんじょうさねとみ ⇒ 攘夷派公家)が、幕府や容保などに対して、
策略を巡らせていました。京で会津の手助けをする者はだれもおらず、
会津一藩が攘夷派の恨みを買っていました。


西郷頼母は会津から京へかけつけ容保に進言します。
「この先、守護職のお役目を続けては、会津の手も、名も、血にまみれます」と、
「天皇は、ただ一人で国を担う重さに耐えておられる。一藩を賭けてでも、
お守りする。・・・・・それが会津の義だ」と、容保は語ります。


会津藩の存亡の危機になると考えた頼母は、
家訓にこだわる容保に、「殿が養子だからだ」と、口にしてはならぬことを言ってしまい、
激怒した容保は、頼母の家老職を解任し、会津での謹慎を命じます。


会津では、
八重がいつものように桜の木の上で砲術書を読もうとすると、
西郷頼母が先に来ていて、虫の巣を払っています。
「・・・・・・ 桜が枯れぬように、せめでも、災のもとを取り除きたかったのだが ・・・・・・」
「・・・・・・ ふふふ、ままならぬものよ。 ・・・誰も、望みどおりには生きられんか ・・・・」


謹慎の身となった頼母に、八重なりに何かを感じるものがありました。
「私に、お手伝いさせてください。木が枯れては、私も困るから」、
八重と頼母は、いつくしむように桜の木の手入れを続けます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      次回 3月3日 9話 八月の動乱


ドラマでは「尊王攘夷」という言葉がよくでてきます。
結論的には、
歴史においては、ペリー黒船など、幕末に外国船が次々にやってきます。
その外国の人たちを打ち払うという意味でつかわれています


そこで、「攘夷」の意味がわからないと、ドラマを見ていてもちんぷんかんぷん。
なんで尊王なのか、攘夷なのか、つながりが分からず、おもしろみが半分です。
そこで、少し長いですが、説明してみます。

漢字というのは便利なもので、
■ 尊王攘夷の「尊王」はすぐ見当がつきます。
王様を尊敬する、尊(たっと)ぶという意味です。
これまで幕府中心だったのが、天皇を中心にしようという動きです。

■ それでは、攘夷の、「攘」、「夷」は、どんな意味でしょうか。
「夷」は、歴史用語の「蝦夷(えぞ・えみし)」、「征夷大将軍」で使われています。
が、「夷」一つの意味は明らかにしないまま使っていることが多いです。

▼ 攘夷の「攘」は、「払いのける」という意味です。
じょう【×攘】[音]ジョウ(ジャウ)(漢) [訓]はらう
払いのける。払い除く。「攘夷(じょうい)・竜攘虎搏(りゅうじょうこはく)」

▼ 「夷」は、ここでは「異民族」という意味です。
   い1 【▼夷】東方の異民族。野蛮人。えびす。
   「蝦夷(えぞ・えみし)」は、「東方の異民族」という意味です。
「征夷大将軍」は、「夷(東方の異民族)を征討する大将軍」です。


  ●えぞ1 【〈蝦夷〉】
[1]〔補説〕 アイヌ語のエンジュ・エンチウ(人、の意)からという
古代に、北関東から東北・北海道にかけて住み、
朝廷の支配に抵抗し服属しなかった人々。えみし。えびす。

  ●せいいたいしょうぐん[―しやうぐん] 13 【征▼夷大将軍】
[1]平安初期、蝦夷(えみし)征討のため臨時に派遣された遠征軍の指揮官。
大伴弟麻呂・坂上田村麻呂・文屋綿麻呂などが任ぜられたが、以後中絶。
[2]鎌倉時代以後、幕府政権の長たる者の称。征夷将軍。将軍。

もともとは、中国で使われた言葉で、
「攘夷」は、「東方の異民族を打ち払う」という意味でしたが、
それを幕末には、「東方」は抜いて「異民族を打ち払う」という意味に使いました。
幕末にやってきたのは、西洋人だからです。

 
そこで、簡単・簡単にまとめると、
歴史においては、幕末に外国船が次々にやってくる。
その外国の人たちを打ち払うという意味でつかわれているということです


尊皇攘夷について

前回のあらすじでも説明しましたが、
天皇尊崇思想である「尊皇論」と、外国人排斥思想である「攘夷論」とが、
幕藩体制の動揺と外国勢力の圧迫という危機に統合して大きな潮流を形勢します。

幕末長州藩の下級武士を中心に尊皇攘夷運動という政治運動として激化し、
さらに討幕運動に発展して行きます。  (『日本史用語集』山川出版社)


ここで、薩摩藩、長州藩、会津藩や数多くの歴史上の人物が活躍することにつながります。


歴史解説   ⇒ 興味のある方はどうぞご一読を

・会津藩主 松平容保(かたもり)は、どうして京都守護職をひきうけたのか
 徳川家への恩義を終生忘れることがなかった初代藩主・保科正之は、
 世を去る4年前(1668年)に「会津家訓十五箇条」を残しました。

 それは、「将軍家には忠勤を励むこと。他の藩を見て判断するな。
 もし将軍家を裏切る藩主があればそれは私の子孫ではないから、
 家臣はそれに従ってはならない」という徳川家への絶対的忠節を命ずるものです。

 一般に家訓といえば、「家を守れ」「藩主に従え」といった内容が通例。
 藩主を見捨ててまで徳川家への忠誠を尽くせというのは異例です。

 徳川幕府の未来永劫の安泰を願ってつくったであろうこの家訓が、200年後、
 結果的に会津を滅ぼす要因となることなど、このときの正之にどうして想像できたでしょうか。
 (NHK公式サイト参照)
  詳細は   ⇒  こちらからどうぞ

                                                     以上

八重の桜 視聴率 あらすじ 7話 2月17日 将軍の首

NHK 大河ドラマ 八重の桜 視聴率 速報 7話  2月17日
「将軍の首」 八重の桜 あらすじ を紹介いたします。


八重の桜 視聴率 6話は15.3%でした。18%台から15%へということで、厳しい視線は
ありますが、物語の進行は時代の変遷がメイン。この後、八重さんの出番が多くなれば、
視聴率もアップするのではと思いますが、いかがでしょうか。

さて今回も、漢字の多いあらすじとなってしまいました。書いていて難しいです。
物語を理解するのにだいじなこと、それは尊王攘夷、

簡単な説明は難しいですが、
天皇尊崇思想である「尊皇論」と、外国人排斥思想である「攘夷論」とが、
幕藩体制の動揺と外国勢力の圧迫という危機に統合して大きな潮流を形勢します。

幕末長州藩の下級武士を中心に尊皇攘夷運動という政治運動として激化し、
さらに討幕運動に発展して行きます。  (『日本史用語集』山川出版社)

ここのところを基本に据えておき、ドラマの展開を見ると、少し分かりやすいかもしれません。


[黒ハート]余裕のある方は、「八重の桜 音楽 メインテーマ 2分38秒 」 をお聴きになりながら、
ごゆるりと、あらすじをご一読ください。 
映像には著作権がありますので、お手数ですがクリックしてからお聴きください。 ⇒   こちらからどうぞ

●登場人物    (顔写真付)              ⇒  こちらから

●登場人物    (全体相関図)            ⇒  こちらから


 ❐ 第7話 「将軍の首」 あらすじ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

文久二年(1862) の秋、 山本八重18歳、兄・覚馬 35歳

京の都では、不平不満をいだく浪人たちが、勝手気ままに行動し、
天誅(てんちゅう ⇒天に代わって罰を与える) という名のもとに暗殺が繰り返されています。


紅葉に彩られた会津では、八重、兄・覚馬、弟・三郎、そして尚之助と、東山温泉に
向かいます。危険をはらんだ穏やかでない京へ向かうことになった藩士たちの多くが、
家族とひとときを過ごそうと、東山温泉をおとずれていたのでした。


「将軍家が京に向かう前に、京での騒ぎをしずめなくてはならない。
京都守護職・重い御役目」、神保修理は真剣な面持ちで覚馬に語っています。


京に向かうにあたり、覚馬にはいくつか心残りがありました。
尚之助の会津藩への仕官が決まらないこと。大砲の鋳造をする反射炉の建設もまだ。
蘭学所のことは尚之助に託せるが、ようやく授かった 娘・みね はまだ乳飲み子で、
留守中の家族が気にかかります。


覚馬が宿の部屋から夜景を見ていると、八重が来て姿勢をただし話します。
「兄様。お留守の間、家は私が守ります。姉様や みね には、私がついております。
角馬(射撃場)で鉄砲を磨いて、お戻りをお待ちしております」八重は真剣な目をして言います。

覚馬たちが京に入ったのは年の瀬近づいた12月24日でした。

文久三年(1863) 正月、京の小御所で、会津藩主・松平容保(かたもり)は、
孝明天皇に謁見します。その時、天皇からは緋色 (ひいろ ⇒濃く明るい赤色)の衣を
差し出され、容保は一瞬我を忘れるほど感激をします。普通にはありえないことなのです。


それからもまなく、江戸から将軍後見職・一橋慶喜と政事総裁職・松平春嶽が京へ来ます。
三人は浪人たちの取締りにつていて話し合い、倒幕派とも話し合う姿勢を見せ、
融和策を唱える容保に、その方法を一任します。


まだ寒い早朝、京の三条河原に、足利三代将軍の木像から引きぬかれた首が三つ置かれました。
立て札には、「逆賊(主君に背くもの)、足利尊氏(たかうじ)、同義詮(よしあきら)、同義満(よしみつ)」。
朝廷を軽んじた逆臣、足利将軍に天誅を下すという意味で、徳川幕府へのあてつけです。


これは倒幕を意味した挑発行為であり、首を寺院から盗み出し、河原にさらしたのは、
会津藩の密偵で、ひそかに浪人を監視しているはずの大庭恭平だということが分かります。


将軍を公然と批判する大庭。容保は「尊皇攘夷とはなんだ。それでは、まるで幕府を倒す口実ではないか」、
尊王攘夷の真のねらいは倒幕にあり。
「幕府打倒をねらうやからに、融和策などは通じぬ。わしがおろかであった」。
容保は、大庭の背後にいる一味を、一網打尽にし、厳罰に処すこと命じます。


そのころ会津では、夏に京に行く大蔵が尚之助に会いに来ました。
大蔵が京に行くのは、京のとりしまり強化のためだと知ると、
尚之助は、会津が武力を持っていることがあだとなるのではと危惧をします。


「強い力をもつ者は、初めはたたえられ、次に恐れられ、末は憎しみの的となる」、
「そんなことは、あるはずがない。会津が憎まれるなんて   ・・・・・・ 」

尚之助の言葉に、八重は、はっきりとはしないが、ぼんやりとした不安をいだきます ・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次回  8話  2月24日 ままならぬ思い
                                                    ご期待ください ・・・・

八重の桜 視聴率 あらすじ 6話 2月10日 会津の決意

NHK 大河ドラマ 八重の桜 視聴率 速報 6話  2月10日
「会津の決意」 八重の桜 あらすじ を紹介いたします。

八重の桜 視聴率 5話は18.1%でした。なんとか18%台キープというところでしょうか。

さて、会津の決意とはなにか、
どうして決意をしなくてはならなかったのか、その背景にある「会津家訓15カ条」について、
文末に掲載しました。もしこれが会津になかったら、たぶんこの番組も生まれていないと思います。
解説だけでもご一読を。

それでは、テーマ曲をクリックして、音楽を聴きながら、どうぞごゆるりと、

[黒ハート]「八重の桜 音楽 メインテーマ 2分38秒       ⇒     こちらから

[右斜め下]登場人物    (顔写真付)              ⇒  こちらから

[右斜め下]登場人物    (全体相関図)            ⇒  こちらから


❐ 第6話 「会津の決意」 あらすじ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

文久元年(1861) 山本八重 17歳、兄・覚馬 34歳
17歳になった八重の周囲では、二葉、井上雪など、
同じ年ごろの娘たちの縁談が次々と決まってゆくのに、八重への話はまだひとつも無い。
「鉄砲撃つ娘を、嫁に欲しがる家があるのだろうか」、母・佐久がため息をついた。
そんな親心をどこまでわかっているのか、八重は銃のことで頭がいっぱいだ。


新しい銃の試作品ができ、尚之助と仕上がり具合を調べていると、
大蔵と梶原が連れ立って顔をだした。
梶原は、八重にその銃の威力を見せてもらうことにした。
八重は手際よく弾丸を装填し、銃を撃ちはなった。「見事だ ・・・」
大蔵は、引き込まれるように八重をみていた。


文久二年(1862) 4月、薩摩の島津久光が千人の軍勢と大砲を率いて上洛した(京都に入る)。
折しも京には会津藩士の秋月悌次郎がいた。京は薩摩藩士であふれている。
時代の歯車が大きく動きだしたのを実感していた。
さらに薩摩は、6月に江戸に入り、将軍の上洛を迫った。


将軍が上洛するには、京にたむろする浪士の押さえが必要であり、
そのためには京都守護職を置かねばならない。
その役目には、多くの人・物・金が必要であり、簡単には引き受けられない役目。
この役目を、どの藩にするかが大きな問題となっていた。


会津藩江戸屋敷を、政事総裁職の松平春嶽が訪ね、
松平容保に、京都守護職を引き受けるよう懇願をしていた。
しかし、容保は辞退した。そこで春嶽は、会津松平家には、
徳川家に尽くすべき家訓があるのでは。辞退することは家訓に背くことになるのでと、
容保に決断を迫った。容保は何も言うことができなかった。


会津藩江戸屋敷では、西郷頼母も早馬を飛ばして会津から駆けつけていた。
頼母は、京都守護職を断固辞退するよう松平容保に訴え続けた。
しかしながら容保は、「徳川ご宗家と存亡をともにするのが、会津の努めだ。
このお役目、逃れられぬ。皆、覚悟を定め、わしに力を貸してくれ」
容保の悲痛な覚悟に、重臣たちは男泣きに泣いた。


この年のうるう8月、容保は京都守護職を拝命した。
京都へは師走と決まり、千人の会津藩士が京に随行することとなった。
その中には、二葉の夫・梶原平馬、井上雪が嫁いだ神保修理、
そして山本覚馬の名があった。


容保が下した会津の決意、進む道は、会津藩祖・保科正之の精神の継承だった。

この決断が、会津により大きな負担を強いることになるのは明らかであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次回  7話  2月17日 将軍の首

「会津家訓15カ条」

寛文8(1668)年、会津藩初代藩主・保科正之は、会津藩の憲法ともいえるこの家訓を制定しました。
この家訓は以後200年にわたり、会津藩の精神的支柱として存在しました。
正之は兄弟である3代将軍・徳川家光に引き立てられ大大名に出世、徳川家に恩義を感じていました。
家訓の第1条は、「徳川家に忠勤、忠義を尽くさなければならない」という正之の気持ちが書かれていて、
将軍家へ後世の子孫まで絶対的な忠誠を誓わせています。
その後、9代藩主・松平容保は、越前の松平春嶽や一橋慶喜らに、京都守護職への就任を要請されます。 第1条の内容を引き出された容保は要請を承諾するしかなく、 後に戊辰戦争の悲劇へとつながったといわれています
全15カ条からなるこの家訓は、会津藩政の基本的な方向を示すものとして制定され、
幕府にその忠誠を尽くすその姿は、武士社会の鑑として、全国にその名を轟かせました。

特に、第1条「大君の義、一心大切に忠勤に存ずべく、列国の例をもって自ら処するべからず。
若し二心を懐かば則ち我子孫にあらず、面々決して従うべからず」は、会津藩を、他藩がどうあろうと、 将軍家に忠義をつくす藩だと位置づけたもので、二心を抱く藩主には子孫としての資格はなく、 従ってはならないとまで言い切る峻烈なものになっています。(第一条については、将軍家への忠誠を強調するだけでなく、
「もし幕府が皇室に対して不忠不義をなすごとき場合、決して従うべきでないという見解を含む
深意があるとみるべきであろう」(同)との解釈もあります)。

「会津家訓15カ条」

一、大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。
一、武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。 上下の分、乱るべからず。
一、兄を敬い、弟を愛すべし。
一、婦人女子の言、一切聞くべからず。
一、主を重んじ、法を畏るべし。
一、家中は風義を励むべし。
一、賄を行い、媚を求むべからず。
一、面々、依怙贔屓すべからず。
一、士を選ぶに便辟便侫の者を取るべからず。
一、賞罰は家老の外、これに参加すべからず。若し出位の者あらば、これを厳格にすべし。
一、近侍の者をして、人の善悪を告げしむべからず。
一、政事は利害を以って道理を枉ぐべからず。僉議は私意を挟みて人言を拒むべらず。思う所を蔵せず、
   以てこれを争そうべし。甚だ相争うと雖も我意を介すべからず。
一、法を犯す者は宥すべからず。
一、社倉は民のためにこれを置き、永く利せんとするものなり。 歳餓うれば則ち発出してこれを済うべし。
   これを他用すべからず。
一、若し志を失い、遊楽を好み、馳奢を致し、土民をしてその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、   土地を領せんや。必ず上表して蟄居すべし。

  右十五件の旨 堅くこれを相守り以往もって同職の者に申し伝うべきものなり
  寛文八年戊申四月十一日 会津中将 
                                                     家老中

八重の桜 視聴率 あらすじ 5話 2月3日 松陰の遺言

NHK 大河ドラマ 八重の桜 視聴率 速報 5話  2月3日
「松陰の遺言」 八重の桜 あらすじ を紹介いたします。

八重の桜 視聴率 4話は18.2%でした。ほぼ前回同様でした。

今回は、吉田寅次郎(後の吉田松陰)、井伊直弼がドラマ展開のメインとなります。
時代背景と関係する人たちを知っておくと、ドラマのおもしろみも違って来ます。
文末に、吉田松陰、井伊直弼について、尊王・攘夷、などについて
記載をしていますので、興味のある方はご一読ください。
それでは、テーマ曲をクリックしていただき、音楽でも聴きながら、どうぞ

[黒ハート]八重の桜 音楽 メインテーマ 2 分38秒    ⇒  こちらから

[右斜め下]登場人物    (顔写真付)              ⇒  こちらから

[右斜め下]登場人物    (全体相関図)            ⇒  こちらから


❐ 第5話 「松陰の遺言」  あらすじ

安政6年(1859) 山本八重 14歳、兄・覚馬 31歳
山本覚馬宛に江戸の軍艦操練所にいる勝海舟より急な知らせが届きました。
覚馬は読むなりぼう然とし、「寅次郎(後の吉田松陰)さんが捕まった」。

寅次郎は、老中・間部詮勝(まなべ あきかつ)襲撃を企てた疑いで取り調べを受けていました。
大老・井伊直弼らが、攘夷派への弾圧を強めるならば、命をかけてでも制止しよう、
という決意を示そうとしましたが、奉行の耳には聞き入れられませんでした。


そんな中、覚馬の妻・うらが新しい命を授かり、皆でお祝いをしようとしておりました。
覚馬が帰ってきて、尚之助と寅次郎の話をしていたときに、玄関から声がします。
覚馬が応対に出ると「攘夷ーっ」、いきなり覚馬に斬りつけて来ました。
「やめてください」と、うらは一人の腰にしがみつきますが、突き飛ばされます。
覚馬と尚之助が応戦し、浪人たちは逃げ出しました。
覚馬を守ろうとした うらは、初めての赤子が流れ、しばらくの間寝込んでしまいました。

八重は、菜園にでると、うらがいつも大切に育てている作物の手入れをします。
すくすくと育つ作物を通して、うらの優しさが伝わって来るようでした。


安政6年10月、寅次郎に裁きが下り、死罪がその日のうちに執行されました。
安政7年(1860) 八重 15歳、覚馬 32歳
江戸に遅い大雪が降った3月3日、江戸城・桜田門外で、大老・井伊直弼は
水戸の脱藩浪士たちに襲われ、命を落とました。
会津にいた藩主・松平容保(かたもり)は江戸から呼び出しがあり、急遽出立ちします。


覚馬は、「今は国を海外に開いたばかり。内乱など起きては異国からつけいられる。
幕府と水戸藩、双方が矛(ほこ)をおさめられるように手を打たねば」と、
建白書を家老・西郷頼母に持参しますが、いったん頼母のあずかりとなります。
それは無用な口出しをすれば、会津にも火の粉が降りかかることを憂慮したからでした。

覚馬は家に帰り、寅次郎(松陰)が目指したのは、公儀の間違いを正そうと
最後まで闘いつづけたものの、国を二つに割ることではない。
でも自分にできることはせいぜい建白書を書くことぐらい ・・」、
覚馬はつぶやくと、こぶしをにぎりしめ、膝をどんとたたくのでした。


江戸城では、水戸藩の処分が話し合われていました。
幕府の最高首脳部は、将軍・徳川家茂の意向を組み、
尾張と紀州による水戸征伐へと傾いていました。
評議が決まりかけた時、会津藩主・松平容保は「井伊大老を殺したのは脱藩した者ども。
これをもって水戸藩を罰しては、筋が通りませぬ。また、天下の大勢を鑑みるに、
今、国内にて相争うは、慎むべきと存じまする」


評議の流れを一気に変えた、この容保のこの発言により、
後に会津を動乱の渦中に巻きこむ、運命のひと言でもあったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 次回 2月10日 6話 会津の決意

【吉田松陰】
(1830〜1859)幕末期の尊王論者。長州藩(山口県)の下級武士の家に生まれ、
長崎に留学後、江戸に出て佐久間象山に学んで、海外の事情に目を向けるようになった。
海外渡航をくわだて、下田(静岡県)でペリーの艦隊に乗りこもうとして失敗。

(1854年)、萩(山口県)の牢獄につながれ、
後、ゆるされてから松下村塾(しょうかそんじゅく)を開いて子弟の教育にあたり、
尊王攘夷論を熱心に説いた。しかし、幕政批判を強めたため、
大老井伊直弼による安政の大獄につらなり、江戸の小塚原で30歳にて処刑されます。

松陰の塾からは、高杉晋作・伊藤博文、山県有朋(やまがたありとも)など、
幕末から明治にかけて活躍する人々が多数出ています。
戦前戦後歴代首相62人の内、8人が山口県出身といちばん多いです。
岸 信介、佐藤 栄作、安倍 晋三 も山口県です。


【井伊直弼】(1815〜1860)幕末の大老。35歳にて、兄の死により彦根藩35万石の藩主となります。

14代将軍に紀州(和歌山県)藩主の徳川慶福(とくがわよしとみ)⇒後の徳川家茂を
を推す譜代大名の中心となり、1858年43歳にて大老になると、
朝廷の許可をえず、独断で日米修好通商条約に調印、慶福を将軍の跡つぎと決めます。

ついでに、反対派を安政の大獄で弾圧したため、反感をかって、水戸浪士に襲われ、
江戸城の桜田門外で暗殺されます。46歳。
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志村けん

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