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八重の桜 視聴率 8話  新島八重 その逸話とは





(八重の桜 視聴率 8話 八重の桜 視聴率 速報 8話)


八重の桜 視聴率、新島八重 その逸話とは ?

NHK大河ドラマ 八重の桜、ドラマも10回を迎えます。
八重の出番はまだまだ少ないですが、それなりのイメージがでてきたものと思います。
ここでは八重に関する印象的な逸話をご紹介いたします。


山本八重、弘化2年(1845) 会津に生まれ、
昭和7年(1932) 没、 86歳の生涯でした。


八重は20歳の頃、川崎尚之助と結婚、のち戊辰戦争敗戦後に離別。
30歳の時に、新島襄と結婚しています。


八重の名は、多くの人にとって馴染が薄いと思います。
地元・会津、福島でも知らない、今回初めて知った方も多いようです。


86年の生涯から、印象的な逸話をご紹介いたします。

・13歳のとき、米俵を持ち上げるほどの力持ちだった八重は、
裁縫は苦手で、砲術や鉄砲に親しんだということのようです。

・鶴ケ城の籠城戦では、7連発の最新式の銃で応戦しました。
鳥羽伏見の戦いで戦死した弟、三郎の敵を討とうと、形見の衣服を
身につけて、果敢に戦ったようです。

・一方、過酷な戦場でも朗らかさを忘れませんでした。
仲間とおにぎりを運ぶ途中に砲弾が近くで炸裂し、泥だらけになった
お互いの顔を見合わせ、大笑いしたとも伝えられています。

・明治になり、新天地京都に移った八重は、アメリカ帰りの新島襄と結婚。
  結婚式は当時としては極めて珍しいキリスト教式だったようです。

・二人は、西洋流の夫婦に、夫をジョーと呼び、レディーファーストで
人力車に乗り込む八重は、保守的な京都の人々に「悪妻」とそしられますが、
いっこうに気にはしなかったようです。

・夫の新島襄は、恩人への手紙の中で、八重のことを「美人ではないが、
 美しい行いをする人」と評価しています。

・新島襄の死語は、看護師として活動しながら、茶道に熱中します。
晩年まで勝ち気な性格は変わらず、近所の老婦人と毎朝、公衆浴場の一番乗りを争い、
負けた日は風呂に入らず、そのまま帰ったということです。


 八重の印象的な逸話を紹介しました。今後もお楽しみください。



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