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八重の桜 視聴率 8話  新島八重 幕末のジャンヌ・ダルク





(八重の桜 視聴率 8話 八重の桜 視聴率 速報 8話)


八重の桜 視聴率 8話、新島八重 幕末のジャンヌ・ダルク


ここでは、八重・幕末のジャンヌ・ダルクについて紹介いたします。


新島八重、弘化2年(1845)、会津藩で代々砲術師範を務めた
山本家の三女として生まれました。
男勝りの性格で力持ち、17歳年上の兄・覚馬から、
好んで射撃や砲術を学ぶ少女時代でした。


さらには「ならぬことはならぬものですと」いう会津藩独特の教えが、
その後の人生に大きな影響を与えました。


八重23歳の時、戊辰(ぼしん)戦争が起こります。西軍に攻めこまれ、
過酷な籠城戦を強いられる中、八重は断髪し、男装し、スペンサー銃にて戦います。


その姿をもって「幕末のジャンヌ。ダルク」と呼ばれるようになりました。
しかし、奮闘むなしく落城してしまいます。
この戦いで家族や友を亡くし、故郷を追われることになります。


八重は涙ながらに
「明日の夜は何国の誰かながむらん  なれし御城に残す月かげ」と
白壁に心情を刻んでいます。



会津戦争降伏前夜に、三の丸の白壁にかんざしで刻みこんだといわれています。
かんざしではなく笄(こうがい)という説もあります。
意味は「明日の夜からは(我々会津藩の同胞ではなく)
どこの国の誰が眺めるのだろう、慣れ親しんだこのお城を」 (幕末ガイドより参照)

八重の生き方の一旦をご紹介しました。


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